「大きい会社で働いている人の方が、偉い。すごい。」
「生徒数が多い高校、キャンパスの大きな大学に入った人の方が、進学や就職に有利」
「大きな農業ハウスに高額を投資した方が、稼ぐ農業ができる」
「大きな宿泊施設や観光施設を建設した地域の方が、町が栄える」
「多くのメニューがあるレストランや居酒屋の方が、人気が出る」
ちょっと前までは、大きいこと、多いことの方が良い、という意見が多かったのですが、
最近は大きいこと、多いことは、あまり良くないんじゃないか、
ということが増えていると思うのです。
それはなぜなら、世の中では、大き過ぎる、多過ぎることが負担になって、
かえって大きな問題になっていることがたくさんあるからだと思うのです。
会社が大きいと、社長や社員1人の不祥事が日本中から批判を受けます。
そして、全社員やその家族までもが「旦那さん、○○の社員だけど大丈夫?」と
不祥事に関係する人物のように噂をされてしまいます。
より良く、より大きな大学への進学に必死な高校や塾講の教師が
進学者の「数」を増やすことに必死で、
生徒個人が何をやりたいのかに向き合えない問題。
中学高校時代の思い出は受験競争。
大学時代の思い出は就活競争、となってしまっています。
高額な補助金で大きな施設を建設したけれど、
規模に見合った経営や良い仕事をできる人材がおらず、採算が合わない。
毎年税金が赤字補填に使われてしまいます。
農産物相場のわずかな下落が、大規模ハウスには何千万円の影響があります。
野菜の価格下落で何億もの借金を抱えて倒産する農業法人があります。
首都圏に人が集まりすぎたことで、地価がとても高くなっています。
それによって、多くの人々は狭いコンクリート部屋に
閉じ込められるように生活しています。
電車も、お店も密になり、感染症の問題に対応できないことはもちろん、
物理的にも精神的にも、閉塞感が募りやすい環境になってしまっています。
例えば、
価値観や人生観を共有した、信頼できる仲間との少人数組織に身を置く。
周囲の社員にどう見られるかを気にせず、自分らしく生きる、自分らしく働くことを
メンバー同士が認めあう会社に所属するという働き方があります。
学校や大学の集団ルールが少ない、少人数の学び舎で学習する。
偏差値や大学のブランドに、幸せな人生を送れる保証はないことを理解し、
地域交流や地元活性、人との信頼関係づくりが学べる地方の小さな学校には、
地方ならではの教育の魅力があります。
大都市のピカピカ高層ビルで、高級スーツやブランドバックで通勤するより、
小さな町で、100年前から残る石蔵を少しずつリフォームしながら、
Tシャツとサンダルで愛犬を連れて通勤する生活。
小さな町、少ないメンバーで過ごすところに統制のためのルールは少なく、
豊かな過ごし方があります。
私たちは、この、今の時代が求めている
「小さい」「少ない」が存在している地方、地域に焦点を当てて仕事をしています。
今こそ、地方の地域やそこに住む人たちは、
「小さい」「少ない」ことがもつ価値や魅力を知って、より自信を持って、
自慢の地元をつくっていけると思うのです。